スキル不足で返り討ちにあった気がします。ついでに、シリアスの神様は途中でお帰りになられ、オチの神様が最後までご一緒してくださいました。
今年最後の書き物更新です。
「元譲さん!」
呼ばれたとたんに硬直する。
そして軽快な足音が背後から聞こえてきたので顔も強ばった。ぱたりとすぐ後ろで音が止む。
ほんの一拍の間をおき、元譲はため息をつきながらきびすを返して近づいた正体を確かめた。――否、目で確かめずともわかってはいるのだけれど。
両手に布巾を被せた小皿を持った花が、年頃の娘らしい微笑みを浮かべて元譲を見上げていた。ため息しかこぼれぬ口から、かすかに苦味を帯びた声を絞り出す。
「……城内で無闇に走るなと、文若に叱られていなかったか」
「す、すみません……」
追いつけなかったからと、花はしょんぼり頭を下げる。華奢な肩を落として項垂れる姿に、ぐ、と元譲は喉を鳴らした。少女の扱いには不慣れであるゆえ、こうした態度を取られると対応に困ってしまう。女のあしらいに長けている孟徳を、ほんのちょっとだけ羨ましいと思った。
「そ、それで、俺に何か用か」
花から視線を背けて咳払いをした。従兄弟のように巧い会話運びなどできぬ。
――邪険にしすぎたろうか。しかし、視界の端に辛うじて映る小柄な娘に目をやると、素っ気ない態度などまったく気にしていないようだ。花はいそいそと布巾を取り、小皿に載っていたものを元譲に見せる。
何かの肉を使った料理のようだった。香ばしい油の匂いを吸い込んだとたん、腹こそ鳴らなかったけれど、調子の良いことに空腹感を覚えた。
だが、身を屈めようとしたところではっと目を瞠り、表情を渋くして嘆息した。見たことのない料理に興味はあるが、好奇心でこの娘に関わることほど危ないことはない。
「これも前に言ったと思うんだが、……なぜ俺に持ってくる」
「元譲さんに食べてもらいたいからです」
あっさりした花の返答に、元譲は眉間に深々としわを刻んで軽く身を仰け反らせた。苦々しいものが喉に詰まっているかのように声を出すことができない。
けろりとした表情の娘に唸りながら目をすがめ、なぜそのようなことを問うのかと、不思議そうに小首を傾いでいる花を見下ろす。
「……俺もこう見えて暇ではないのだが……」
「あ、ごめんなさい。お仕事の邪魔でしたか?」
「いや、時間はあるにはあるが……――も、孟徳に持っていってやったほうがいいんじゃないか? あいつも喜ぶだろうし、仕事が捗って文官どもも助かるだろうに」
また花にがっかりされたら困るので、慌てて言葉を付け足した。
気に入りの娘に煽てられて執務室に留め置かれれば、行方を探すために予定外に人員を割かれることもなく、裁可を求めて彼のもとを訪れる文官、ひいては文若も苛立つことなく執務が進むようになる、かもしれない。そうなったなら、こうして自身も娘の扱いに困惑することもなし、四方が丸く収まって万万歳じゃないか。
咄嗟だが、我ながら良い方策を提示できた。そう思った元譲は、そろりと内心で胸をなで下ろす。孟徳ならば彼女を落ち込ませるようなことはするまい。必ずうまく対応するはずで、自分はお役御免だと安堵した。
けれど、事は元譲が思ったように動かず、花は眉尻を下げて惑いを浮かべた。ぎくりと背筋が凍る。泣かたら至極面倒だ。
「……孟徳さんじゃダメなんです」
「なぜだ」
「だって、孟徳さんは何を持っていっても美味しいとしか言ってくれません」
「ぐ…………な、なら、文若はどうだ。あれは手放しで誉めること……の方がないな……」
孟徳と対極にあるだろう人物を推薦したが、元譲はすぐに後悔した。かの尚書令では誉めることの方が稀だろう。文句のみならず貶されでもして彼女が泣くようなことになったら、――耳聡い孟徳のこと、巡り巡って自分が責任をとらされることになる。絶妙な難癖と奇妙な言いがかりをつけて貶されるに違いない。
苦虫を噛みつぶしたように元譲が渋い顔つきでいると、花は彼の提案に対してゆっくり首を振った。
「文若さんはお説教しかしてくれません」
持っていったあとだったのか。しかも品評すらしないのか。淋しそうな微笑の花に、元譲はすまんと短く詫びた。
他に誰か花の相手になれるものがいないかと脳裏で探るが、適当な人物が見当たらなかったので断念する。あっという間に四方どころか八方塞がりとなってしまった。
腕を組み、青空を見上げた元譲はため息をつく。練兵に向かうはずだったのに何でこんなことをしているんだろう。わずかにそんな気持ちもあった。
玄徳軍にいた彼女の立場は非常に曖昧で、微妙だ。博望や長坂のこともある。孟徳に目をかけられ、陣営を玄徳軍からこちらに移し、文若に預けられて――と、ここまでは別にたいしたことはない、はずなのだが、自身に懐かれたことだけはまったく理解できぬ。
顎を擦りながら弱り果てていると、花は小皿を降ろして布巾をかけた。
「すみません。元譲さんの迷惑も考えないで、自分勝手でしたね」
眉を下げながら微笑して、彼女はいま一度すみませんでしたと言って頭を下げる。姿勢を戻して身を転じ、来たときとは別人のようにとぼとぼと回廊を戻っていく小柄な姿に目は釘付けとなった。
ため息しか出ないのは変わりない。けれど、開いた口から出た言葉は自身でも驚くようなものだった。
「置いていけ」
「――え?」
「俺に持ってきたんだろう。一口も食っていないぞ」
階に腰を下ろした元譲は、小走りで戻ってきた花から小皿を受け取り、手づかみで口に放り入れる。
「……薄くないか? ほとんど味がない」
元譲は微妙な顔でそういうと、隣から覗き込んでいた花の口にも肉を放り込んだ。急なことに驚きの声を立てたものの、あさっての方向を眺めながら彼女は首を傾げる。
「私はちょうどいいと思ったんですけど、これで薄い……ですか。あ、基本はこれで、物足りなかったら塩や醤油をかけてみるとか」
「野営時にそんな上品なことなんぞやっとれん」
「で、ですよねー……」
「同じ肉なら前回のほうが良かったな。鳥の肉を……炒めたのだったか、焼いたのだったか。あっただろう」
「前の鳥肉……あ、唐揚げ! わかりました、研究して、もっと美味しくできるようにしますね」
無邪気な笑顔は、路傍にひっそりと咲いている名も知らぬ花のよう。
まったくもってらしくないと思う。かの従兄弟のように、盲目的にのめりこむまではいかぬが、これはこれで悪くはないとも思えた。元譲は薄く苦く口元をほころばせる。
そして、すぐ脇でこころのままに微笑んでいる少女と一緒に皿のものを平らげることにした。
「たまにひとが真面目に仕事していれば……あの野郎……!」
回廊の角の太い柱の陰で、ひとりの将軍の頭を脇に堅く抱え込んだ孟徳は、獰猛な唸り声を上げてその光景を見ていた。行き場のない怒りは、残酷にも青年の頭へ向けられる。血管を浮かべて握りこんだ拳の間からは、尊い贄となっている青年の髪がはみ出していた。
「と、とっ、主公……!」
「丞相。そろそろ加減なさいませんと、夏侯将軍の頭が残念なことになってしまわれます」
上司の為すことに抗えぬ彼は、欄干を握りしめて無慈悲な暴力に耐えている。そして公達は、指先だけで孟徳の襟を摘んで止める素振りだけをみせいてた。偶然居合わせてしまっただけなので、まったくやる気はない。
毛髪が毟り取られるのではという危惧が、ふとした瞬間に霧散した。首を絞めていた孟徳の腕が緩んだので、彼はいそいそと逃げ出して手櫛で頭髪を撫でつける。無事でよかった。
安堵したのも束の間、孟徳は険しい表情で赤い袖を翻して元譲たちがいる方角を指で示す。その覇気たるや、戦場で指揮を執る姿とまるきり同じだったので、ごくりと思わず喉が鳴った。
「妙才、2人の間に飛び込んで邪魔してこい。ついでに元譲を叩きのめせ」
「い、いやいやいやいや! そりゃ勘弁してくださいや! あの惇兄にようやっとの春がきそうだってのに!」
「馬鹿を言え、相手が花ちゃんなんて絶対認めん! 断固阻止! 突撃せよ!」
「だーかーらー!」
「叔父上は如何です? これっぽっちも空気を読まずに説教を垂れてくれましょう」
「よし、その策でいこう。公達、速やかに実行せよ」
「御意に」
一見、恭しく拱手した公達は、静静と回廊を取って返した。妙才が見るに、尚書令をあの場へ向かわせはするだろうが、きっと公達は戻ってこないだろう。むしろ自分もそうしたい。
妙才は微笑ましく距離を縮めている2人を見たあと、彼女に嫌われたくない一心で邪魔をするに憚って地団駄を踏む上司を見やって長嘆した。