兄ぃ!玄兄!ふぉおおおおお!地図はちゃんと描けるんですね!笑
今号で1番輝いていたのは芙蓉姫だと思いました。かわいいなあ。
隆中の誤植だけうふふと思いましたが、あはーん!な気持ちで楽しめました。どんなんだ。
来月の表紙が楽しみです。どのルートで進もうと美味しくいただけるのが嬉しくてたまりません。俺たちの戦いはこれからだ!な終わり方をしなければいいと切に思います。
拍手、ありがとうございましたー!
凝り固まった肩に手を当て、首を左右に捻っている孔明の前に書簡を積んだ2つの整理箱が順に載せられた。黙って眺めると、それを用意した花が手のひらで、まずは右側の山を示す。
「こっちがなるべく急いでほしいって言われて預かったものです。――それからこっちが、緊急ではないけど、早目にお願いしますって頼まれたものです」
「……急ぎも早目も大差はないんじゃないの?」
「それはそうかもしれませんけど、……師匠はひとりですから」
机上に肘を着いてため息をこぼした孔明の言葉に、花は困ったような笑みを浮かべた。
読み書きはだいぶん出来るようになったと自身では思っているが、孔明の側にあって手伝っていることは以前とあまり変わらないように思う。
こうして孔明ひとりに流れてくる執務の量が増えることはあっても減ることはなく、昼夜問わずして広げた簡とにらめっこをしているのに、その弟子はといえばお使いと休憩時の一服の支度、そして未だ卒業することの叶わぬ手習いを同じ執務室でしているのだ。
あの伏龍の唯一の弟子、などという過分な肩書きがあるぶん、余計に自らの不甲斐なさが際立ち、消沈の具合も深くなろうもの。
花の頭が徐徐に下がっていくのを見てとった孔明は、両腕を天井に向けて伸ばした。長い時間、椅子に座ったままだったので身体のあちこちが軋む。
「よーしそれじゃ、――休憩にしよう」
そう言って孔明は、勢いをつけて立ち上がった。意外な発言に花が目を瞠ると、彼は猫のように目を細めて笑った。
「働きすぎは駄目だって、よく君が怒るでしょ。ほら、一緒に休もう」
「え、でも……私は師匠ほど疲れていませんし」
「なに言ってるの。城内を駆け回っているんだから、君がそう思っていても身体は休息を求めているかも知れないだろう?」
机を回り、遠慮しようとして身を引く花の背を押して向かう先は、室内で最も日当たりの良い場所に設えた長椅子だ。孔明に渡った案件の採決を待つ官吏のためにどうかという花の提案を採用したものであるが、ときどき丁度良いといって孔明の昼寝にも使用されている。
大丈夫だと渋る花を端に座らせてから、孔明もやや間を空けて腰を下ろした。そして、ごろりと身を横たえる。彼の頭は枕代わりとする花の膝の上に、当然といわんばかりに載せられた。
「師匠!?」
「こうすれば立ち上がれないだろう?」
「た、立てますよ! ――立ちますからね!」
わしっと孔明の頭を掴んで花は腰を浮かせた。けれど、彼は手に手を重ねてそれを諌める。片目で花を見上げると、彼女は気配を惑わせながらも顔を真っ赤にして眉を吊り上げていた。
「やあ、可愛い顔が台無しだ」
「誰のせいですか、誰の!」
「おや。可愛い、は否定しないんだ?」
孔明のその台詞で、花はぐっと喉を詰まらせたように顔を顰める。それからしばし交わらせていた視線を逸らして口先を尖らせた。少し眉尻を下げて気落ちしている表情を見て、孔明は微笑した。
益州に腰を落ち着けてから、花は孔明の側で様々なことに関わってきた。弟子でもあり、玄徳軍の軍師のひとりである立場から、軍議はもちろん内政にも孔明の計らいでそれなりに触れさせてきている。
そうして時間を過ごしていく中で彼女が強く気にするようになったのは、身形や容姿に関することだった。
宴席などで目にする芸妓の化粧や装束に高い関心を示し、芙蓉や侍女などに訊ね回っては困らせているようだ。
美しくなることに興味があるというのは良いことだと思った。
女性ならば誰しもそういう願望を持っているものだろうとも思う。同時に、如何なることであろうと自ら求めて得ていくことは、正しく彼女のものとなり、彼女を助けていく能力になるだろう。
ただ、そのことも長ずると芙蓉からの苦言と説教が廻りめぐって孔明に齎されるのだけれど。
じゅうぶん可愛いのだから、気にすることなんてないのに。
そうつぶやいてみれば、そういうことは本人に面と向かって言ってやれと、突き刺さるような視線を向けた芙蓉に、真っ赤になるまで耳を引っ張られた苦い記憶が浮かんできて、思わず摘ままれたほうの耳を擦った。
「師匠?」
「……いや、痛覚にも記憶能力があるのかと思って」
耳朶を弄る孔明を、花は首を傾げて見下ろした。
孔明はしばらく目を瞑ってまどろんだ。初夏の空気はやわらかく、花の膝枕の効果もあってか非常に心地良い。花も口をつぐんでしまったので室内には沈黙が漂っているけれど、鳥のさえずりや城内の喧騒が穏やかに流れ入ってくるので、意識が完全に落ちてしまうことはなかった。
「……花」
まるで寝言のようなささやきに、花は返答をしなかった。どこを見るともなしにさまよわせていた視線を膝上の孔明に向け、それが寝言なのか否かを確認する。
「確かにボクはひとりだ。でもだからって、君がボクのようになる必要はどこにもない」
「それはそうですけど、もっといろいろ出来るようになれば、たくさん師匠の手伝いをして、負担を減らせると思うんです」
「負担って、なにが?」
瞼が持ち上がり、露わになった双眸が花を確りと見上げた。その真摯な色は、よくよくひとを揶揄するときとはまったく違う。――伏龍と、そう呼ぶに相応しい輝きだ。
問いかけに面食らった花が黙っていると、孔明はのんびりと身体を起こし上げた。
微妙な距離を開けたまま、長椅子の上で彼と彼女は相対する。
「曹孟徳、孫仲謀でなく、劉玄徳に仕えると決め、わが君の大望を叶えるべく己の成すべきことを成すことの何が負担だと君は言うの?」
「……師匠は本当に意地悪です」
己の采配ひとつで玄徳軍の進みゆく道が開かれるし、閉ざされる。
すべての選択が正しいのかは誰にもわからない。けれど、願いをかなえるためには進まなければならないのだ。生半な覚悟で、今の地位を受けているわけではない。
見たことのない装いで、不可思議な書を片手に現れた仙女が如き娘。
成り行きで師となった彼女と再会するまでの年月は、気が遠くなるほど長かったけれども、――過ぎればそれは瞬く間のことだと思い知った。
花はしゅんと項垂れたが、そんな彼女を目の前にして孔明は薄く笑んで目を細めた。
「……君は君のままでいなよ。そうでなければボクが困る」
「困るって、それは、どういう……」
「宿題にしようか。わからなかったら、――そうだな。お使いの量が増えるのと、片付けの範囲が広がるの、どっちがいい?」
「……それ、どっちにしたって、私がやらなきゃいけなくないですか?」
正解を持ってこようが、誤りであろうが大差ない。顔をしかめて睨む花の視線から、すいと孔明がそっぽを向いた。図星のようである。
口笛でも吹き出しそうな孔明の横顔に、花は肩を竦めてため息をついたものの、眉尻を下げて小さく笑った。使い走りでも清掃要員でも、孔明に圧し掛かっているものを少しでも自分の手に載せられるのなら良いと思えた。
「まだ寝ますか? それとも戻ります?」
「花が膝を貸してくれるなら寝る」
「それじゃ仕事に戻りましょう」
「ええー? そこはどうぞって勧めるところでしょー?」
「……師匠には前に、セクハラってどういうことか教えましたよね?」
花がにこりと笑ってそう言えば、孔明は一瞬だけ目を丸くし、そののちに苦笑して立ち上がった。けち、とつぶやいて背を向ける。
「師匠」
「わかったよ、わかりました。師匠を脅すなんて怖い弟子だなあ」
文句を言いながら机に戻った孔明はさっそく筆を手にする。そんな彼をひと睨みしてから、頬を膨らませていた花も手伝いの書簡選別に戻っていった。
――戦なき世を齎し、なべて安寧であれ。
無垢な娘の在った世界に近づき、彼女のこころにせめてもの安らぎが与えられるようにと、積み重ねてきた知識をもとに尽力することに苦痛はない。
想うこころひとつだけで帰ることを拒否した少女にできる、それが孔明のただひとつのこと。
両手に簡を持ち、黙黙と山を作っていく姿を盗み見て、孔明はひそりと笑みを刷いた。
花との出会いがすべてのはじまり。
10年の長きにも褪せぬたったひとつの輝ける星の如く、純真な笑みを絶やさぬ君でいて。
そうすれば必ず、君の望む平安を見失うことなく目指せるから。