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三国恋戦記二次創作/初来訪の方はaboutをご一読ください
No.
2024/11/24 (Sun) 11:40:53

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No.36
2010/07/30 (Fri) 00:26:02

お待たせしましたと胸を張れる気がまったくしないのはどういう了見なのかを小一時間ほど問いたい自分に。

花さん奮闘記です。
頂戴したリク内容に滾りすぎて詰め込みすぎました。私が。久々にこの長さを書いた……。
なあ、お前もう一回注文見直して来いよ、な? と肩を叩かれてもおかしくないと思ってます。
この身の程知らず! と焼き鏝を押されてもおかしくない。
書くのが遅いせいで素敵企画見逃していたりとかすごいショッキングー……。

あの、介錯、お待ちしてます……。(正座)

ドボンしている間にも拍手をありがとうございました。
お返事等はすみませんがまた次の機会に。ドボン!




【 天壌傾慕 】


公瑾が長らく京城を留守にするときは、花は彼の私邸に引き取ることが多かった。近く邸の女主人ともなる身なのだからと言われたことに端を発するのだが、茹蛸のように真っ赤になった全身を大いに笑われたことも同時に思い出してしまうので、花にとっては苦々しい記憶に分類される。
そんな中で、尚香や二喬は邸に篭もりっぱなしではつまらないだろうと、城へ呼び立てて以前のように茶を飲み、菓子を食べ、雑談に賑わうなどして気分転換をさせてくれた。
玄徳軍の使者として身を置いていたときを思えば、たとえ公瑾との仲を考慮されているのだとしても破格の待遇だろう。友人のように、家族のように接してくれる彼女たちの心遣いは何にも勝る慶びだった。
そして、此度も楽しすぎる時間を過ごし、陽の翳らぬ内に邸へ引き取ろうと尚香の部屋から辞したのちに事は起きた。
母親にも似た親しみを感じる古参の侍女と、邸に上がったばかりで花とは歳の近いの彼女の姪を連れて回廊を進んでいるときのことだった。
先頭を歩く花が立ち話をしている女性たちを見つけた。以前、公瑾を追いかけていたひとたちだと思い出した花は思わず足を止める。できれば会いたくなかった。しかしそこを通過しなければ馬車を喚んだ門へは行けぬ。花はひとつ大きな息を吐き出すと、腹をくくって足を進め、素知らぬ振りで頭を下げて通り過ぎようとした。だが、彼女たちのほうが放っておいてはくれなかった。
「あら、花様? 先頃の卑俗なお召し物ではありませんでしたから、気づきませんでしたわ」
「そちらは拝見したことのないお召し物ですけれど、……次から次へとお羨ましいこと」
「斯様な娘に貢いだところで御身に還るものなどございませんでしょうに。公瑾様もお目がない」
口々に言葉を投げられて圧倒された花は、はっと目を瞠ったあとに黙って俯いた。彼女たちは薄い笑いを浮かべてそんな花を見下ろす。風当たりが強いのは今に始まったことではない。好い仲であることを公瑾が憚らなくなってからはいっそう威力が増した感もある。
そこに救いの手を述べたのは、今にも飛び掛らんばかりの怒気を孕ませた若い侍女ではなく、冷静に状況を見守っていた古参の侍女だった。
「申し訳ございません。花様のご体調が優れませぬゆえ、失礼をさせていただきましてもよろしゅうございましょうか? 公瑾様よりきつく言い付かっておりますので、万一に大事でもありましょうものなら厳しいお咎めを受けてしまいます」
花の身体を支えながら軽く侍人たちをねめつける。
すると、言葉の意味が正しく伝わったのだろう。彼女たちは敵意をむき出しにしつつ、踵を返した1人に倣って次々とその場から去っていった。
「いったいなんなのですか、あのひとたちは!」
「これ! 花様の御前で大声を出すでない」
姪を窘めた侍女は花の復調を優先させ、近くの四阿へと向かうことにした。


四阿の屋根の下で白湯を口にして人心地がついた花は侍女に礼を言った。
「奥様がお気になさることなんてありません! ひどいのはあのひとたちのほうです!」
いきりたつ姪をひと睨みで黙らせるも、彼女は振り返った先の花にはやさしく微笑みかけた。
「わたくしめが言うまでもなく、公瑾様のおこころは花様の御許にございます」
「え、ええと、そういうことで落ち込んだんじゃないんですけど……」
花の口から発せられた否定の言葉に、侍女たちは似たように首を傾げた。つづきを待つ彼女たちへためらいがちに視線をやったあと、小さなため息をつく。
「あの、さっき言われたことですけど、……私、公瑾さんから色々と貰っているじゃないですか。この服も、簪やイヤ……耳飾りなんかもそうですし」
「それは公瑾様が奥様を愛してらっしゃる証拠ではありませんか! 公瑾様は今までに女人へ贈物をなさったことなどないと聞いていますもの」
若い侍女は興奮したように顔を紅潮させて声高に言う。その真偽を問うべく隣の侍女へ目をやると、姪の態度に呆れた表情を隠せぬまま女主人へ頷いてみせた。
しかしといって花は表情を曇らせる。
「私は貰いすぎだと思うんです。これってシルク――絹ですよね? ……それなのに私ったら今まで貰ってばっかりで、公瑾さんにお礼とか、お返しのプレゼントしたことないなって、思って……」
ずっと公瑾を慕ってきた彼女たちから、彼の好意に甘えてばかりいることを指摘され、己の慢心を見透かされたような気がした。
花は眉尻を下げて大きな瞳を潤ませる。胸が痛むのは、きっと事実を突きつけられたから。気づかぬままに公瑾の恋人であることに驕り、浮ついたこころを自制出来ていなかったから。
肩を落とす花に、しかし侍女は感嘆した。彼女らの八つ当たりのような悋気に腹を立てるどころか、あの最中に己が非を見出すとはなかなかに出来るものではなかろう。
「でしたら、奥様から公瑾様へ贈物をなさればよろしいのです!」
場の雰囲気をまったくつかんでいないのか、ぐっと拳を握りしめた娘が力強くそう言うと、花は薄っすらと涙を湛えたまま彼女を眩しそうに見上げた。
「公瑾様はきっと奥様のご無念を、愛情をもってお許しくださいますわ! そうしたら、今まで贈物を受け取っていただけなかった先刻の方々も、二度と奥様にあのような態度は取れなくなりましょう!」
「おまえは少し言葉を慎みなさい」
古参の侍女が頭を抱えたが、花は希望が垣間見えでもしたのか、手を組み、双眸を輝かせて侍女を見上げた。
「今さらって、呆れられたりしないでしょうか」
「しませんとも! 今までよりもずうっと、公瑾様の愛情が深くなるに決まっております!」
ぽんと音でもするかの如く、花は顔を真っ赤にさせたが、するよりはしないほうがいいなどとつぶやきだした。古参の侍女はその小声にぎょっとしたが、花の目にはまったく映っていない。そして血色の悪かった顔に生気が戻るや否や、両手を硬く握った花が青空を見上げてすっくと立ち上がった。
「――わ、私、やります! 公瑾さんにお詫びとお礼のプレゼントします!」
「その意気ですわ! 僭越ながら応援させていただきますっ!」
「ありがとうございます! ……ところで、何を贈ったらいいと思いますか?」
趣味が良いことはもちろん知っているが、好みの傾向がわからない。喜んでもらいたいが内証に事を運びたい。花はさっそく力を請うべくとて娘に大雑把な条件を並べるが、公瑾の傍に侍ることがない彼女は、それならば彼と親交のある人物を訊ねてみてはと提案する。いずれも長い付き合いがあるのだから、有用な情報を握っているやも知れぬ――。花はその具申になるほどと頷いた。
「二人は先に帰っていてください。遅くなったらこっちに泊まりますから」
それじゃあ。四阿に入ったときとは正反対の、瑞々しさ溢れる笑みを浮かべて花は宮城へと戻っていった。後々のことばかりを憂いて彼女たちの会話内容をまったく聞いていなかった侍女は、もはや疾く小さくなっていく背中を眺めることしか出来なかった。
「花様に何を吹き込んだのか!」
「吹き込んでなどいません。公瑾様と親しい方々にお伺いを立ててみてはとご助言申し上げただけです」
「許しもなく主人に意見するばかりでなく、軽々しい振る舞いを窘めることすら出来ぬとは……。おまえ、ご叱責は覚悟の上だろうね」
「奥様はそんなことなさいませんわ。とてもお優しい方ですもの」
「愚か者。花様ではない。――公瑾様からのお咎めは仮借無いであろう。花様はもちろん、私からの庇い立てもなきものとお思い」
この仕儀が公瑾の耳に入ったらばいずれも叱責は免れまい。花が絡むことに関してはひどく冷厳な公瑾を諌める術など誰も知らぬし、誰にも出来ぬ。笑みひとつで花を安堵させ、陰で厳罰を下すくらいのことは容易にやってのけるだろう。
そこで初めて青褪めた姪へ先に邸へ帰るように言いつけ、自らは花の行方を追うことにした。


裾を踏まないよう細心の注意を払って回廊を進んだ。すれ違う官吏に挨拶をするたびに簪の飾りの揺れた細やかな音がする。
制服を仕舞い、装束をこちらのものに改めてからだいぶん時間を経た。はじめの頃は衣服といい装飾品といい、慣れぬばかりでいちいち挙動不審になって公瑾に呆れられたものだが、ずいぶん馴染んできたと自分でも感心する。ただ、まだ長すぎる裳には苦労させられるけれど、これもいつか当たり前のようになる日が来るのだろう。
広間に近いところで、先方に鎧姿の二人を発見した。兜のない横顔に見覚えがあったので、声を上げて足を止めさせる。振り返った厳つい表情の彼らは花の姿を見止めると驚嘆の声を上げた。
「軍師殿ではござらんか。……めっきり姿を拝見せぬと思いきや」
「なるほど、これは都督殿も出し惜しみをしましょうなあ」
素直に褒められていると受け取ってもいいのだろうか。京城では公瑾とのことをからかわれることが多かったので、花は野太い笑い声にぎこちない笑みを見せるが精一杯だった。
「あ、あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、いま大丈夫でしょうか」
「何なりと」
「ありがとうございます! ――ええと、公瑾さんの好きなものってご存知ないですか?」
首を傾げる花を前に、彼らは一瞬だが無表情になった。それから徐々に目を見開いたり、顔の中央に皺を寄せたりとしたが、最終的には再び揃って笑いあった。豪快に放たれる声は近くを通りかかった侍人や官吏の驚いた視線を集めた。
「某は存じておりますぞ」
「本当ですか?!」
「うむ。――この通りわが目の前にございますれば、軍師殿は鏡を持ちてそれをご覧じればよろしい」
「か、がみ、ですか?」
花は眉を八の字にして盛大に首を傾げたが、武将たちは勝手に得心して如何様と頷きあって身を翻してしまった。質問したのになぜか疑問が湧いた。ぽつねんと取り残されてしまった花は追いかけることも叶わず、どうして鏡? と右に傾けた頭を反対側に傾け直した。
公瑾はもしかして簪に興味があるのだろうか。後頭部の飾りを触った花はゆるゆると表情を曇らせた。――時代が違うのだから、そういう趣味のひとがいてもおかしくないのかもしれない。
とんでもない誤解に頭を捻って回廊を静々と歩きだす。もしや自分は踏み込んではいけないところに踏み込もうとしているのではないか。そんな疑念すら生まれてしまいそうなとき、背後からそれを払拭するが如くに暢気長閑な呼ばわりが花の危険な考えを中断させた。
「いずこより飛来した美しき胡蝶かと思えば、花殿でしたか」
「子瑜さん。子敬さんも。こんにちは」
「しばらくお会いせぬ間に、いっそうお美しくなられた」
世辞とわかっていても恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。花は熱くなった顔を袖で覆い隠した。
「いやはや、周都督がお羨ましい。きっと今頃、手折った花に悪い虫が群がっていないか心配しておられましょう」
「それでしたら、私どもとて公瑾殿がお戻りになった暁には退治されてしまいましょうなあ。ふぉっふぉっふぉ」
勝手に癒し系と位置づけている二人の口から飛び出すとんでもない言葉の嵐に、花は頭の天辺から袖を垂らして邪気のない視線を遮断した。袖が大きくてよかった。そうでなかったら今すぐ庭へ飛び出して穴を掘って飛び込まねばならなくなっている。
「あああああ、あの、ですね! お二人に聞きたいことがあるんですけど!」
このままだとエスカレートしかねない。花は腕と袖を振って注意と話題を逸らした。
「お二人は、公瑾さんの好みの傾向って知ってますか? 洋服とかアクセサリーとかインテリアとか、好きな色とか形とか模様とか、何でもいいんで教えてもらえませんか?」
「あ、あく……?」
「それは、花殿のお国のものでしょうかな?」
子敬からの指摘で、花はあっと口を押さえた。花がこの国の生まれでないことは周知のことだが、生きてきた世界が違うことまでは知られていない。どちらも公瑾の計らいによるもので、前者はどうとでもなるが、後者の件はさすがに説明の仕様がないからだ。
「そ、そうです。――ええと、衣とか、装飾品とか、家具とかですね。何かご存知ないでしょうか」
「その様に必至になられるとは……いったい何があったのです?」
問われて花は掻い摘んで説明した。先刻の女性たちとの遣り取りはもちろん省いて。
困惑あふれる眼差しで見つめられる二人は、互いの顔を見合わせて同じように眉根を寄せた。
「ふうむ……都督は一廉の武人なれど、詩楽も嗜まれる典雅な方ですからなあ。その様な方の好尚ともなると……」
「あまり深くお考えにならずともよろしいのではないですかな? たとえささやかであっても、奥方ともなろう花殿からの贈物なれば、公瑾殿はきっと天にも上る心地になりましょうぞ」
「も、もうそういう恥ずかしい喩えは遠慮します……」
悪意のなさそうな子敬の言葉に花の視線が泳ぐと、三人の間で会話が途絶えてしまった。それぞれに地位のある謀士が似たような顔つきで通りを占拠し、首を捻ったり天井を仰いだりしている様は、重要な合議を行っているふうにも受け取れる光景だった。
現場を目撃した下官などは気づかれぬうちにと反転したり、回廊を降りて庭を遠回りしたりするなど自衛を講じていたが、肝心の彼らはしばし周囲に目をやる暇も惜しんで各々の考えに没頭した。
不可思議な緊張が解かれたのは、おどおどしつつ子敬を呼びに来た下官だった。邪魔となることをひたすらに詫び倒し、力になれなかったことを謝罪して去っていく二人と下官に、花は足音が聞こえなくなるまで丁寧に頭を下げていた。
いまいち考えをまとめきれぬまま回廊を歩きまわった末にたどり着いたのは、やる気に満ち満ちて飛び出していったスタート地点、――すなわち、己の怠慢に気づいた最初の四阿だった。


さて、どうしたものか。気分を落ち着けた花は、雄大な青空に流れゆく白雲を眺め、改めて思案に耽った。最初に声をかけた武将らの言葉は未だに理解しかるが、子敬、子瑜との問答にも首を捻ってしまう。
私物からして高尚。それに合わせるとなるときっとお金がかかる。貰っているものも、金額こそもちろん聞かないけれど驚くような金額なのだろう。お金持ちはこれだから困る。花は肌触りの良い袖を重ねて腕を組んだ。
花自身とていちおう俸禄は貰っている。金銭感覚がつかめていないので額の高低はわからない。生活必需品などはほとんど公瑾が手配してくれているし、気がついたら用意されてしまっているので、稼いだ金を使うのは城下へ遊びに行ったときに、菓子や小物に小銭を払うくらいのもの。身を切るような高額なものは未だかつて購入したことがなかった。
これでは子供扱いされても文句など言えない。花はため息をついた。
「う、うーん……」
そもそもまだ何を贈るかも決めていないので、お金の心配をするのも尚早だと思うのだが、先立つものがなければ始まらぬ。
しかして花は頭を抱えた。――まさか自分がこんなことで悩むことになるとは思いもしなかった。
男性に贈物などしたことがない。女友達へ渡す気軽なものとも訳が違う。美しいと女性から評されるそのひとは、確かに将来を約束した恋人なのだ。
脳裏に浮かんだスマートな姿に、ぽっと熱く染まった。誰も見ていないだろうに、花はそれを隠すよう頬に手を添える。
「が、頑張るしか、ない!」
記憶にある美麗な笑みに力を得たが如く、花は拳を固めてすっくと立ち上がった。立ち止まって考えても埒が明かぬなら、足を使って行動するのみだ。
力強い足取りで庭を外壁方面へ突き進んで城門を目指す。開け放たれた大きな門扉をくぐる前から街の賑わいが聞こえ、顔見知りになった兵士へかける挨拶の声が浮かれてしまいそうになる。
「こんにちは」
「は、お疲れ様であります! ……街へお出でになるのですか?」
「はい。ちょっと出かけてきます」
「お、お1人で? 供をお連れになられたほうが――ぐ、軍師殿! お待ちください!」
「ちゃんと門が閉まる前には帰ってきますから!」
時間を惜しんだ花は背後からの切羽詰った掛け声を置き去りにし、見送ってくれる兵に笑顔で手を振ってから裾を持ち上げて小走りにその場を去った。公瑾の名が聞こえたような気がするが、優先すべきことがある今の彼女には気のせい、で済まされてしまった。


綺麗にまとめあげられた髪を汗と雑踏に揉まれてほつれさせ、戦果を両手に抱えて城へ戻ってきたのは空の大半が茜色に塗られたころのことだ。
京城にはまだ花の部屋が残されている。使者として滞在していた時に宛がわれたそこが私室と称されるようになっただけなのだが、仲謀軍での居場所を与えられたようで嬉しかった。
通いなれた路を辿り、懐かしく思える回廊を通っていくと、目的地の前には邸に帰ったはずの侍女が扉の前に立っていた。花の姿を見つけた彼女は、恭しく頭を垂れる。
「お帰りなさいませ」
「あれ? お邸に帰ったんじゃ……」
「お捜し申し上げておりました。……ご無事で何よりでございます」
花から目を離し、あまつさえ側を離れたなどと公瑾に知れたら――。想像するだけでも恐ろしい。
侍女は空想の仕打ちに身震いしたものの、母親のような笑顔でもって扉を開けて両手の塞がった女主人の入室を手伝った。預かりうけた荷物を台座に置き、喉を潤す準備を鏡の前に用意してから、まずはと言って髪を直し始めた。断りを入れてからていねいに簪を引き抜いて髪を梳く。
小さな白い花が数個あしらわれた簡素な簪は花の気に入りの一本だ。公瑾と二人で城下へ外出した折に、購入するか否かを悩んでいた花の脇から彼が買い求め、店の主人が冷やかす中で髪に挿してくれたもの。公瑾からの、それは最初の贈物だった。
「城下へお1人で参られたと伺って肝を冷やしました」
「すみません。……あの、公瑾さんにはナイショでお願いします」
「もちろんでございますとも。――それで、秘密をたくさん作ってまで行動なされた成果はございましたか?」
「はい!」
侍女の合図を待って振り返り、花は城下で購入したもの、彼への贈物の内容をつぶさに語った。ただ、ようやく決定はしたものの、元の世界とは勝手が大いに違うので製法がわからない。そこで花は、秘密を守ってくれるだろう侍女にその旨を正直に述べて協力を請うことにした。
「もちろん、喜んでお手伝いさせていただきますとも」
「ありがとうございます! よかった、嬉しい。すごく助かります」
あどけない笑みを浮かべて早速腰を上げて荷物を広げだした花に面食らったものの、侍女はすぐさま彼女に手を貸して詳細を聞いた。懸命に言葉を探して自分の考えを伝えようとする真面目な横顔に見入る。
彼女の郷里は遙かな異国と聞いている。主と仰ぐには少々幼すぎる気もするが、これほど仕え甲斐のある人物もそういまい。知識を得て時を経ればきっと素晴らしい家宰となって公瑾の助けとなることだろう。
大家に嫁ぐ女となれば、侍人にこうも気安い態度など取りはしまい。――けれどこれは花の生来の気性なのだろう。公瑾がこころを寄せるのもわかる気がした。
「――どうでしょう。出来るでしょうか?」
「出来なければ、公瑾様へ贈ることは叶いませんよ?」
「そ、そうですよね。がんばります!」
気合いを込めてそういうと、侍女は喜ばしそうに頷いた。すぐに道具を揃えるといい、邸にもその手配をさせる旨を花に伝え、彼女は礼を取って部屋を出ていった。
静かになった部屋の中央で、花は机上に広げたものに手を這わせた。金銭的にはもらったものより格段にランクが下がってしまう。けれども、今の自分にはこれが精一杯だ。
授業で習った程度の技術と記憶だけで、はたして上手く出来るだろうか。彼は喜んでくれるだろうか。児戯のようだとからかわれ、笑われてしまうだろうか。
最初から万事が完全になるはずもない。そういった能力が自身にないことは理解している。
何事も一歩を踏み出さなければ成し得ない。一度きりの機会ではない。笑われても次がある。
「よし、やるぞー!」
天井に拳を突き上げ、花はさっそく袖をまくりあげた。


翌日、花は早々に京城を出ることにした。公瑾から直々に留守を預かった以上、家人に任せきりで邸から離れているわけにもいかない。
邸に到着してからは息をつく暇もないほど忙しなかった。
動きやすいように髪はほどき、ブラウスに着替える。それからまず手につけたのは手習いである。公瑾の変わりに指導を引き受けてくれたのは子敬で、公瑾が出立前に選んでいった見本を小分けに書き記し、1日のノルマを京城へ届けて内容を見てもらう。通信教育のようだと花が思ったこれは、相対して師事することを遠回しに嫌がった公瑾が手配したことでもあった。信用してくれないのかと拗ねもしたが、長考ののちにきっぱりと自分が嫌だからと悪びれずに言ってのけたので、それ以上は突っ込めなかった。
完成した書簡を渡したのは太陽が中天を過ぎ去ったころのこと。花は遅れを取り戻すべく侍女に頼んで昼と夕の食事を軽くし、あとは部屋に篭もって作業に没頭した。侍女が燭台を増やして、周りの音が聞こえぬほど集中している花の手元に灯りを集める。
「ありがとうございます。あの、私に構わないで休んでくださいね」
「花様こそ、きちんとお休みになってくださいまし。隈などお作りになってお出迎えなさろうものなら、公瑾様に笑われてしまいますよ」
「う……、き、気をつけます」
ふんと鼻を鳴らして薄い笑いを刷いた公瑾がすぐに浮かんでしまったので、花は唇を歪めた。
――翌朝からは睡魔との闘いだった。
作業をしていた卓上に突っ伏していた花を、朝餉の膳を持ってきた侍女に起こされた。
「は、花様! ……早くお休みくださいと申し上げましたのに」
「あ、おはよう、ございます……」
花は寝惚け眼のまま頭を下げ、思い切りよく卓に額をぶつけて侍女を慌てさせた。
日の1番に手にするは筆記用具だ。手習いのノルマを仕上げねば肝心の作業には移れない。理由を正直に話せば、あるいは子敬なら軽減や免除のアドバイスしてくれるだろうが、それでは公瑾の期待を裏切ることになってしまう。そこから転じて内証事がバレてしまう危険もあったので疎かにできなかった。
船を漕ぎつつ何とか仕上げ、城への遣いを頼んだあとは、とうぜん作業の続きに取りかかった。慣れぬことばかりで手間を食う。巧くいかずに多々ストレスも溜まるが、完成品を贈ったときのことを考えれば、わずかにだが疲労も拭えた。
「花様! 奥様!」
凝り固まった肩を叩き、気分転換に少し表へ出て陽に当たろうかと立ち上がって扉に向かったときのことだった。
この邸の家人たちはさすが躾が行き届いているようで、大声を出すことなどない。はじめて聞いた騒がしさに、花は焦って扉を押し開いた。駆けてきたのは、今回のことに背中を押してくれた若い侍女だった。
「何かあったんですか?」
「ご、ご主人様が、……公瑾様がお戻りあるそうです!」
帰還先触れの早馬があり、予定では3日後に建業へ到着する由を耳にした子敬がわざわざ花への遣いを寄越したという。花の顔から表情が消える。侍女が不安そうにのぞき込むと、虚空を見つめた花がおもむろに口を開いた。
「お礼を、子敬さんに伝えてくださいって、そのひとにお願いしてください。私もあとで挨拶に行きますって。そのお使いのひとにも、何かお礼を」
「……かしこまりました」
無言で花が部屋へとって返す。
静謐に閉じられた扉を悲しげに一瞥してから、彼女は言いつけを実行するべくとぼとぼと邸の門戸へ向かった。


京城を見た瞬間に懐かしいと思ったことを、公瑾は不思議に思った。
しかし湧いた疑問を頭の片隅に追いやり、騎乗したまま同道した武将と打ち合わせを行い、城門をくぐると同時に部下へ指示を与え、手綱を預けた副将に今後のとりまとめを命じる。公瑾はひとり外套を靡かせて城内へ伸びる石畳を歩いていった。
真っ先に仲謀へ報告をし、労いのために開かれた小さな宴席の最中でも、同席した高位の官たちへ似たような報告をあげて、酒杯を幾度も傾けながら今後の対応策を練る。今尚も北と西の脅威は変わらぬ中で成すべきことは山積しており、頭痛の種がなくなることはない。
夜が更けても、公瑾にはやるべきことが容赦なく残されていた。邸へ帰ることもままならぬ忙しさに疲労は増すばかりだが、自身が抱えているものを老齢の子布ひとりに負わせるわけにもいかぬ。それに、帰ったら帰ったで出仕する気分がすっかり失われてしまうだろうことが、哀しくも自身で予想できてしまう。
儚い月光に浮かぶ庭から聞こえてくる虫の声に耳を傾けながら、衣に移った酒気を漂わせて執務室へ向かう回廊を進んだ。
「お待ちしておりましたぞ、公瑾殿」
部屋の前には子敬がいた。細い目をことさらに細くさせ、柔和な笑みでもって部屋の主を迎えた。
公瑾の顔からは表情が消えていたが、彼は構わず軽やかに笑った。
「ふぉふぉふぉ。早くに花殿のことをご報告にと思いましてな」
「お気遣い、痛みいります」
入室して明かりを灯し、子敬に座を進めた。公瑾自身は外套を取り払い、竹簡が山積みになっている文机に陣取った。
「子敬殿にはご面倒をおかけしました。御礼申し上げます」
「いやいや、まるで艶文を頂戴している気分でしたぞ」
子敬の笑い声がとても弾んで聞こえる。
懐から1本の竹簡を公瑾へ渡し、それを紐解いた彼の前で丁寧になった花の手蹟を褒め、届けられる簡すべてに「お願いします」と添えられていた細やかな心配りのあったことを告げた。そして、ひとかどの女人となって公瑾と添うことを羨ましくも喜ばしいとこぼしながら、子敬は退室していった。
留守中の退屈しのぎ程度にはなるかと思ったが、やはり止めさせておけばよかった。暢気な彼女の穏やかな笑みが浮かんだ暗闇に嘲笑を投げ、公瑾は灯りを吹き消して瞑目した。


夜も明けきらぬ内から灯りひとつで政務を執っていた公瑾の元を訪うひとがあった。
ひと声入室を促すと、妙に怯えたふうの兵をつれた子瑜が現れた。墨を付けたばかりの筆を置き、眼前まで進み来た彼らと相対する。
「早朝から申し訳ありません。……この者が、公瑾殿に報せたいことがあると」
「……私に?」
訝る視線を向ければ、びくりと全身を震わせた兵士は大きく息を吸い、公瑾の鋭い目線に負けじと声を張る。その声量に公瑾は眉を顰めはしたものの、彼が口にする内容が耳に入って理解に及ぶと、沈着な顔つきがどんどん険しくなっていった。
「それでは、花殿が城下へ降りていくのを、ただ見ていただけだったと」
「お出になる際、供をお連れくださいと申し上げたのですが……」
「結局はひとりだったのなら言い訳にもならないな」
そう吐き捨てた公瑾のため息に兵士が縮こまる。形の良い唇に浮かぶ冷笑がさらに恐怖を誘った。
「戻ったのはいつごろか」
「は! 夕刻の、門を閉める直前でした!」
「……わかった。他になければ下がってよろしい」
公瑾と子瑜に鯱張って敬礼をし、緊張感に耐えられなかったのだろう彼は駆け足で部屋を出ていった。透った双眸の奥に潜む冷厳さは子瑜も息を呑む。
「お手数をおかけしました」
「とんでもない。……お相手の花殿があれほどの女人になられたのです。公瑾殿が心砕かれるのも当然でしょう」
「まだ幼い娘に過分なお言葉ですね。奥方の耳に入りでもしたら叱られてしまいますよ」
「さて、今となっては腹を立ててくれるかどうかも怪しいものです」
顔を見合わせて密かに笑いあった後、公瑾は台座から降り、部屋の外へ出て子瑜を見送った。
しばらくそこで立ち尽くしていると、楼壁から一筋のまばゆい陽が差し込んだ。目を細めて黎明の光を受けていると、なぜだか無性に花の顔を見たくなった。
そしてその日は一日、公瑾は大層不機嫌だった。回廊ですれ違う下官や侍人などはまともに彼の顔を見ることが出来ないほどで、取り巻きの女性たちも、隠すことなく感情を露わにしている彼に憚って遠巻きに眺めるしかなかった。
(いったいどういうことか)
執務中でも、今のようにただ歩いているだけでも、期せずして花の目撃情報が飛び込んでくる。公瑾は首を捻った。
今回の不在には邸に留めおけるようにした。正確な意図こそ彼女に教えてはいないが、この表側には姿を現すようなことにはならないはずだった。尚香の誘いとなれば仕方のないことだが奥からでも城外へ出る道はあるので、花の姿を外朝で見かけることは皆無に等しいはず――だのに。
「公瑾殿!」
前方からやってきた武将たちが笑みをたたえて呼び止める。嫌な予感しかなかったが、公瑾は足を止めて拱手した。
「そのご様子では、未だ帰還成らず、というところですかな」
「軍師殿もさぞかし気をもんでおられましょう」
「……公私の分別はさすがにつけておりますので」
花とのことは未だにからかわれることが多い。素っ気なく応えると、彼らは呵呵大笑して公瑾の肩なり背なりを次々に叩いた。
「いやいや。軍師殿もすっかり垢抜けて、娘とは呼べぬようになってしまわれましたからな!」
「――私の不在時に、こちらで彼女に逢われたのですか」
「うむ。しかし公瑾殿が思われるような不埒なことはまったくありませぬゆえ、ご心配めさるな」
「ご多忙であられようが、手土産のひとつなりふたつなり抱えて早く邸へお戻りになられるがよろしかろう」
「左様! 軍師殿の全身が拝見できるような大鏡など良いでしょうなあ」
「鏡、……ですか?」
公瑾は不思議そうな顔をしたが、彼らは一方的にだが言うだけ言って満足したのか、声高に笑いあって去ってしまった。勝手な2人に公瑾は顔をしかめたが、時間が経つにつれて表情に厳しさが増してゆく。
しばらく虚空を睨んだあと、公瑾は足早に執務室へ戻った。


「あらあら」
深夜に部屋を覗くと、花は再び卓上に突っ伏して眠っていた。午前中は手習いにかかりきりになり、食事を取る暇すら惜しいのか、昼以降は侍人が赴かない限り部屋から出ることなく、また陽が落ちてからは煌々と明かりを灯して遅くまで起きていることが続いていた。それでも朝は普段どおりの刻限に起床しているのだから感心も一入である。
道具を手にしたままだったので、侍女は起こさぬように気を払ってそれを取り上げた。散らかっていたものをすっかり片付け終えてから灯りを消し、あとは花を牀榻へ運ぶだけだったのだが、花の肩に手を触れたそのとき、明確にこの部屋へ近づいてくる足音に対して侍女は花を背に隠す。
しかし扉が開かれ、月を背にした姿をひと目見るなり、彼女はその場へ崩れ落ちるように平伏した。邸の主人である公瑾だった。
静かに歩を踏み出し、未だ卓上に眠る花に近寄った。足元の侍女にくれる一瞥はやわらかな宵闇すら切り裂いてしまいそうな鋭利なものだった。
「……花が独りで城下へ降りたと聞くが、それは真か」
「御意。申し訳ございません」
「京城でも衆目に触れたという。何をしていた」
寒気すら感じる低音に侍女の身体が震えた。頭上から降る圧迫感はかつてないほどだ。
薄く口を開いて健やかな寝息を立てる花の頬を、公瑾は指先だけで撫ぜる。暫く見ぬ間に少し線が細くなっただろうか。
「私に言えぬのか」
「恐れながら、公瑾様がこちらへお戻りあって任を解かれるまで、わが主は花様にございます」
おののきながらも確りとした応えに、公瑾は額づいている侍女に目を眇めて口角を緩く上げた。
「お前を付けたのは誤りだった。――下がれ」
幾分やわらかくなった一声に、侍女は衣装箱を持って部屋を出て行った。
扉が閉まってから、彼は花の身体に腕を回して椅子から難なく抱え上げる。目に付いた衣装にわずかだが表情を厳しくしたものの、すぐに寝台へ運んで彼女を横たえた。
安穏とした寝顔にかかる髪を払い、触れてもまったく気づかぬ様に苦笑する。
――此度、邸へ引き取らせた理由をきちんと話しておくべきだったろうか。しかし、そうしたところで思ったとおりにおとなしくしてくれるかは甚だ疑問だが。
万難を排し、婚儀相成るまで一指たりとも触れさせず、一筋たりとも傷つけたくない。平和に見える城内とても暗部はあり、彼女が気づかぬうちにそこに触れ、巻き込まれる可能性は絶無でない。
今回は何事もなかったから良いようなものの、この身この手の及ばぬときに大事が起きていたなら、今度こそ生きていけぬように思う。伯符への悔いを癒し、新たな生への楔を打ち込んだのは誰あろう、ここに眠る花だからだ。
幼い娘にこうも心乱され振り回される姿を、泉下の親友は呆れ、あるいは笑っているだろうか。
頬に手を添え、親指の腹で下唇をなぞった。花はくすぐったそうに小さく首を竦めたが、目を覚ます気配は微塵もなかった。
「あなたに私の不安など届かないのでしょうね」
こんなに近く在るのに、こころの離れていることがとても淋しい。
離れがたく思いながらも手を引き、眠り続ける花をひと目見下ろしてから足音を殺してその場を離れた。
「――私の許しがあるまで外出はならぬ。庭の散策くらいは許すが門外は認めぬ。手習いも控えさせよ」
月を見上げながら公瑾は峻厳に放った。扉の外でひそりと控えていた侍女は表情を曇らせたものの、何も言わずに平伏した。


何だか幸せな夢を見た。昼近くになってから侍女に声を掛けられて起きたのたが、寝過ごしてよかったのかもしれないとさえ思った。
しかしそれも束の間のこと。自室で食事中に侍女から告げられた内容に、花はぽろりと箸を手から落とした。
「こ、公瑾さん、帰ってきたんですか……!?」
「件のことはまだ内証のままですからご安心を。ただ、城下へおひとりで参られたことにお叱りを頂戴しました」
「……すみません。私のせいですよね……」
「いいえ。わたくしどもが勤めを果たしておりませんでした。それゆえのご叱責なれば、花様はどうかお気になさいますな」
「します! 私が勝手なことをしたから……」
花は持っていた椀を戻して食事を止めてしまった。
留守番すら出来ぬのなら結婚なんてまだまだで、お付き合いすら考え直されてしまうのではなかろうか。公瑾の思う条件に適う女性なら京城にゴマンといる。しかもこちらは一夫多妻制。体面を保つために婚儀こそすれ、気づいたら邸の隅にいるばかりの妻妾になっていたりして。
花はぶるぶると勢いよく首を振った。そして他に何か言っていなかったかを問い、侍女が公瑾の残していった言葉を伝えると、花はさあっと顔を青褪めさせた。彼を確実に怒らせた。
「……こ、今度はいつ、帰ってくるんでしょうか」
「そちらは何も仰っておられませんでした」
これは好機なのでは、と侍女が言う。戦慄く唇を手で蓋い、泣きだしたくなる衝動を堪えていた花がきょとんと彼女を見返した。
彼が邸へ帰ってきたら、花を手近において目を離すことはないだろう。そうなったら何も出来なくなってしまい、今までの努力が水泡に帰してしまう。侍女はそう言い、困惑に乱れる花へ微笑んだ。
「公瑾様こそ花様をお慕いなさっておられるのですから、何事もご案じ召されますな」
青くなるべきなのか、それとも赤くなるべきだろうか。
混乱に混乱が重なっておろおろしている花の隣では、侍女はすでに道具一切を準備して笑っていた。
それから花は先日までと同じように、睡眠時間を削って準備に取り掛かった。手習いに充てていた時間すらもそれに向けられることは単純に喜べることではなかったけれど。
その甲斐あってか、完成したと花が我を忘れて叫んだのは、公瑾の無言の来訪を受けた2日後の夜のことだった。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます! いっぱい助けてもらいました。本当にありがとうございました」
「わたくしは何も。花様の努力の賜物でございましょう」
完成品を用意してもらった箱に入れ、紐で括る。あとはこれを公瑾に渡すだけなのだが、肝心のひとは未だに邸へは一度も連絡を寄越さないし、足を向けずにいる。遣いを出してみましょうかと訊ねた侍女の顔をじっと見つめた花は、髪を揺らして首を横に振った。
「私が京城へ行きます。早く渡したいですし、直接行って今までのことも一緒に怒られてきます」
お説教が一度で済むかもしれない。花は苦々しく笑いながらそう言った。
瞳の強い光に考え直す余地がないと見るや否や、侍女は供の準備をさせる間に着替え、目の下の隈を化粧で隠してからにしてくれと頼んだ。


「……外出は認めないと、家人に伝えたはずですが」
扉に映る淡い影に、公瑾はため息をついた。文机に開いていた書簡を脇に避けてから入室を許可する。
ささやかな衣擦れと小さな足音をさせて入ってきた花は、扉を開け放ったまま、まずはごめんなさいと言って深々と腰を折った。彼は無表情で彼女を見る。
「あ、あの、公瑾さんに早く謝りたかったのと、これを……渡したかったので」
じっと向けられる醒めた視線に竦む。花は目線を上げることなく持っていた箱をおずおずと差し出した。身体の震えが伝わるのか、封をした蓋が微かに鳴っている。
公瑾はそこでようやく動きを見せた。扉を閉じて中へ入るよう促し、肩にかけていた朝衣の上掛けに袖を通し、手燭を持って座から降りた。
花の前に立つと、彼女はぎゅっと目を瞑って顔を俯かせてしまう。結い上げた髪に挿された花簪を眼下に見つめ、漆塗りの箱に手を触れた。
「聞きたいことも言いたいことも山ほどありますが、……こちらの箱のことから伺っても?」
「は、はい! あの、この間のことなんですけど……」
先日の女性たちとの遣り取りを端的に話した。やはり目を合わせられず、彼の足下を見たままの発言だったので、公瑾がどういう顔をしているのかはわからなかった。
「……公瑾さんの好きなものをリサーチしてみたんです。でも結局わからなかったので、気に入ってもらえるかどうかもわからないんですが……」
受け取ってもらえますか。花は言った後に奥歯を強く噛んだ。莫迦なことだと、今更だと笑われようと受け取ってもらえるのならいい。今は拒絶が何よりも恐ろしい。まるで押し付けるように腕を伸ばしたが、公瑾の反応がともて怖い。瞬きの間のことがとても長く感じられた。
彼の手にあった灯りがついと動く。そして短い吐息のあとに手が軽くなった。
「拝見させていただきます」
花は声もなく頷いた。空になった手を胸の前で組み合わせて運命のときを待つ。
公瑾は箱を紐解いて最初に目にしたものを手にとった。吊り糸を指でつまみ、目の前にぶら下げる。縹色の布地で作られた小ぶりの造花が球状に束ねられていて、その下には二藍の飾り紐が付いている。かすかにだが清冷な香りが漂った。
「これは、……薬玉、でしょうか」
「え? く、くす玉?」
「訊いているのは私です。大方、店の軒先に吊られていたのを真似たのでしょう? 魔除けにしてはずいぶん可愛らしい」
笑いを含んだ公瑾の言葉に、花は目を瞠った。
「魔、除け……!?」
「……謂れも知らぬものをひとへ贈るのは如何なものかと思いますよ」
公瑾のため息に、せっかく上がった顔がまたがっくりと落ちてしまう。感情の起伏のなんと忙しないことよ。公瑾は苦笑しながらそれを卓に置いた。
そして再び箱の中に目を落とす。畳まれた縹色の布地を丁寧に持ち上げ、指を開いてさらりと広げる。
袖口や裾が二藍で縁取られた木綿の上衣を、公瑾はまじまじと眺めた。
「これも、あなたが……?」
「……服を作ったのは初めてで、その、店員さんや侍女さんからアドバイスをもらったりしたんです。……既製品はないし、1着作るだけの予算もなかったし、専門家にお願いするのもどれだけお金がかかるかわからなかったので……そういう形になってしまったりしたんですけど……」
最後のほうは近距離にいる公瑾の耳にも届かぬほどだった。指をもじもじさせながら消極的なことばかり床に向かってつぶやき続ける花の様子に笑いを噛み殺す。
刺繍も紋様も何もない簡素な上衣は、華美なものを厭う彼女らしい選択だと思えた。
朝衣の上掛けを脱いで花へ渡し、縹のそれにさっそく袖を通した。預かった上衣をきつく握りしめた花は、恐れ戦きながらも目を閉じることなく公瑾が衣を整える様子を見守った。
「もしや、衣を仕立てるのは初めてですか?」
目を丸くする花に向かい、彼は拱手するように花の前で両の袖口を重ねたてみせた。すると、ひっと喉を鳴らした花が目元を赤くしながらも器用に顔色を白くした。
左袖は手の甲を覆うものの、右袖は手首までしか届いていない。花は唇を小刻みに震えさせ、慌てて公瑾の懐に飛びこんだ。
「ご、ごめんなさい、すぐ直します! す、みませ、ん……!」
花は惜しげもなく涙をこぼして上衣を握る。渡したばかりの衣へ早々に雫が染み入ったのを見てさらに竦み、しゃくりあげて脱いでくれるよう訴えるが、彼は脱ぐどころか花の手を掴んでそれを止めさせた。
「こ、こうき、ん、さん……っ」
「嫌です。返しません」
「ど、して、……意地、悪、する……」
「意地悪とは心外ですね。これはもう私が貰ったのだから、どう扱おうと私の勝手でしょう?」
手を離して細腰に腕を回し、しがみつく花の頭部に唇を寄せる。遠慮なく胸元を濡らしだした彼女の頭上で眉尻を下げた公瑾は、しばらく黙って彼女を抱きしめた。泣く女子供に勝てるものなどいない。
怒っていたことが急に馬鹿馬鹿しく思えた。賢人の弟子に深謀など通用せぬ。彼女は彼女のこころのままに往き、ひとのこころを揺り動かす。そんな花だからこそ――。
「花。いい加減に泣き止んで顔をお上げなさい。さもないと放り出します」
「!」
物騒な物言いに、花は大粒の涙を払って顔を上向いた刹那、公瑾の手が花の頤を捕らえた。互いに目を開いたままの口づけ。視線が絡まったことに花がまた驚いて、色気なく硬く目を瞑った。角度を変えて幾度となく唇を吸われ、熱が離れたのは彼女の膝が震えだしたときだった。細い虚ろな花の眼差しに公瑾は笑みを刻んで下唇を食み、立つこともままならぬ彼女を片腕で支えたまま、朝衣の袖で触れた頬を拭った。
「童子でもあるまいに、こんなに泣いてばかりでは目が溶けてしまいますよ」
「だ、って、……だって……!」
いくら拭っても眦に新たに浮かぶ涙の粒を見て、仕方がないと思いつつも公瑾は微笑する。
「そういえば、礼がまだでしたね。――ありがとうございました。これほど深い悦びを感じさせる贈物など他にありません」
衣を握っていた手を取り、針を指したのだろう、薄い布が巻いてある指先に口づける。花は嫌がって腕を引いたが、それは公瑾が許さなかった。
離れ離れとなって同じ時間を見つめるように互いを想いあっていても、これから先のことは限りある生命を持つひとの身としては天命に委ねるほかない。けれど針を取っている間、仕立てている間、ずっと花のこころを占めていたのが己への想いだけだったと自惚れても良いのなら、それだけでもこころ満たされる思いがした。この衣を纏っているだけで、まるで彼女の腕に抱かれているような、花の気持ちに触れているような気分になる。
言葉尽くさずともわかる気持ちがあるように、いくら重ねても伝わらぬこころがある。彼女から知ることは在り来りのことのようでもとても新鮮なことばかりだ。
目を赤くして未だ泣いたままの瞳をのぞきこみ、恥らう花へ優美に破顔してから頬に一度だけ唇を寄せた。
それから身を屈めて肩をつかみ、膝裏に腕を回して花の痩身を横抱きにして持ち上げた。
「こっ、公瑾さん!?」
「邸へ帰ります。ここではいつ何時邪魔が入るかわかりませんからね」
「あ、あ、あのっ、お仕事残っているんじゃないんですか!? それに時間もだいぶ遅いですし!」
「優秀な官は他にもいますし、自邸へ帰るだけなのですから文句など言われるはずもない。……聞きたいことも言いたいことも山ほどあると言ったでしょう? ――一晩で済めば良いのですが、それももったいない気分です」
「えっ、わ、私、そんなに長くお説教されるんですか……!?」
「さあ? 如何でしょう」
引止め作戦が失敗に終わった花が、眉尻を下げ、唇を真一文字にして実に渋い顔を見せている。
しかし公瑾は苦笑を刻みながら灯りを消し、転がしたままの薬玉を指に引っ掛けて部屋を出た。降ろしてくれと涙目での懇願もまた無視を決め込む。
贈ったばかりの上衣を着たままであることも羞恥の一端を担っているのだろう。花は顔を隠すようにして公瑾にしがみついた。稚い仕種に短く笑う。
「――花。愛しい私のあなた。今宵一夜、あなたを占有する許しをください」
些少に掠れた声でささやくと、胸元では顔を隠した花がひどくぎこちない動きで首肯した。公瑾はちらと見たそれに含み笑い、朧にかすむ月明かりの元に悠々と歩を進めた。


 

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